養和会について

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ごあいさつ

医療法人養和会

 昭和5年(1930年)8月9日、上後藤の地に創業者初代院長廣江和一が、米子脳病院を開設し、90年を迎えます。昭和18年広江病院になり、現在の養和病院には平成18年になりました。無医村に生まれた病院は、山陰で一番古い精神科病院ではありますが、地域の皆さんからは、脳病院と慕って頂き、熱が出ても、ケガしても、脳病院で診察を受けて頂く地域密着型医療機関でありました。
 財団法人米子病院(現鳥取大学医学部付属病院)と名称が似ていることから、広江病院に改称し、一貫して精神医療を行ってきましたが、昭和60年代より、認知症を中心とした高齢者医療にも携わるようになりました。

 昭和5年(1930年)8月9日、上後藤の地に創業者初代院長廣江和一が、米子脳病院を開設し、90年を迎えます。 昭和18年広江病院になり、現在の養和病院には平成18年になりました。無医村に生まれた病院は、山陰で一番古い精神科病院ではありますが、地域の皆さんからは、脳病院と慕って頂き、熱が出ても、ケガしても、脳病院で診察を受けて頂く地域密着型医療機関でありました。
 財団法人米子病院(現鳥取大学医学部付属病院)と名称が似ていることから、広江病院に改称し、一貫して精神医療を行ってきましたが、昭和60年代より、認知症を中心とした高齢者医療にも携わるようになりました。

 平成になり、鳥取県最初の老人保健施設仁風荘を開設し、介護分野での事業を始めました。平成7年の新病棟完成とともに、退院後の社会復帰事業を始め、障がい者の社会復帰の事業を始めました。平成15年には、社会福祉法人養和会を設立し、医療法人から分離し、障がい福祉サービスを法人化しています。
 そして、平成18年には、リハビリテーション病院としての機能も持つことにより、養和病院へと再度改称しました。
 病院名を三度変え、新しい法人も含めてサービスを提供することは、時代の変化、流れに置いて行かれぬようにダーウィンの進化論のごとく対応してきたと思っております。
 令和の時代となり、医療・介護・福祉の三つの事業を、メンタル・認知症・フィジカルの三つのリハビリテーションを行い、心と体のリハビリテーションセンターとして、更に養和会グループの連携を深め、地域に貢献できる企業として歩んで行きたいと思います。

理事長 廣江 智

社会福祉法人養和会

 社会福祉法人養和会は、平成15年3月、ご利用者の皆様が個人の尊厳を保持しつつ、地域社会で自立した生活を営むために必要な支援を行うことを目的に設立されました。設立以来、地域で生活される障がいのある方の広汎なニーズに応えるため、必要な施設整備やサービス提供を行っております。
 法人理念にもあるように、養和会は地域のしあわせを考え、地域の皆様とのつながりを大切にしてまいりました。時には支え、時には支えられる、そんな地域の皆様とのつながりが我々を育ててくださいました。もちろん、それはご利用者さんにも言えることです。ご利用者さんに必要な支援を過不足なく行い、伴に歩むことが我々の使命でありますが、支えるだけでなく、支えられることも多くあります。そして、養和会の推進役である職員の存在なくして、地域の福祉は進められません。大切な人財である職員が働きやすい職場づくりをこれからも進めてまいります。

 

 社会福祉法人養和会は、平成15年3月、ご利用者の皆様が個人の尊厳を保持しつつ、地域社会で自立した生活を営むために必要な支援を行うことを目的に設立されました。設立以来、地域で生活される障がいのある方の広汎なニーズに応えるため、必要な施設整備やサービス提供を行っております。
 法人理念にもあるように、養和会は地域のしあわせを考え、地域の皆様とのつながりを大切にしてまいりました。時には支え、時には支えられる、そんな地域の皆様とのつながりが我々を育ててくださいました。もちろん、それはご利用者さんにも言えることです。ご利用者さんに必要な支援を過不足なく行い、伴に歩むことが我々の使命でありますが、支えるだけでなく、支えられることも多くあります。そして、養和会の推進役である職員の存在なくして、地域の福祉は進められません。大切な人財である職員が働きやすい職場づくりをこれからも進めてまいります。

 団塊世代が後期高齢者になる2025年問題はすでに真っただ中に入っています。少子高齢化社会の波はこの地域でも先行して始まっています。それだけでなく、社会的入院による精神障害者の長期入院からの地域生活への移行や過去最高となっている小中学校の不登校率、DVや虐待、貧困による生活困窮など、全国的に起きているこれらの課題は、この地域でも少なからず顕在化しています。今後ますます福祉が必要とされる時代になっていきます。そして、人口がどんどん減少していく2040年問題が近づいてまいります。このような時代にこの地域でどう取り組むのか、地域の皆様とともに考え、取り組んでいきたいと考えています。地域共生社会は住民主体で作っていくものです。行政が与えてくれたり、作ってくれるものではありません。地域の皆さまと手をとり、つながりを大切に、伴にこれから訪れる地域課題に立ち向かっていける法人でありたいと思います。持続可能な開発目標と言われるSDGsに向けてこの地域でできることに法人として取り組み、この地域の2040年が今より豊かな人のつながりのある街になるよう、20年でできるゴールを見定めて取り組んでまいります。2040年には、しあわせと言えなくても、不幸ではないと皆が笑顔で言える、そんな地域になっていてほしいと願っています。
(平成2861日就任) 

 理事長 廣江 仁